【忘れてはいけない】多くのwebライターが勘違いしている「スキルと文章の価値」

私はwebライターの勉強を始めてから、「webライター」とは

 ・アクセス件数を増やすための文章作り。

 ・最後まで読んでもらえるための、読者を惹きつける文章作り。

を目指すものと思っていました。

しかし、それ以前に心がけなければならないことがあることを勉強させていただきました。

・読者に嫌な思いさせない文章を書く

・読者に対する心配りの大切さ

・読者に誤解されないための、言葉の使い方

普段何気なく使っている言葉、かっこいいと思って使った言葉で、

人の心を傷つけてしまうこともあるということ。肝に銘じたいと思います。

「気の利いた文章」のための表現チェックに挙げられた例は、いずれも、私が、普段、無意識に話している言葉でした。

webライターの多くが、「セールスライティング」を学ぶ以前に、

正しい文章の書き方を、学ばなければならないと感じています。

忘れてはいけない、言葉遣いの基礎

1.「雨」と「雨の朝」とでは、全く別の作品

 サンプル1とサンプル2は、同じ、雨の日の朝の筆者の思いを書いているが、

 サンプル1は、朝とは直接関係がないので、「雨の朝」というタイトルはふさわしくない。

 サンプル2は、「雨の朝」に「筆者の身に押し寄せてきた、何とも言えない思い」を書いているので、「雨の朝」がふさわしい。

 この違いは何か?

 この2つの文章は主人公が異なる。

  「雨」→ 主人公は、あくまで「雨」

  「雨の朝」→ 主人公は、筆者自身

 「タイトル」と「書かれていること」とが、読者の中でピッタリと重なっているかどうか、

 繰り返し確かめることが必要。

2.「ひとりよがりの表現」に、なっていませんか?

 「富士山って、やっぱり雪景色が一番じゃないですか!だから、富士山を見ながら箱根の温泉に行くなら、寒くても冬がいいですよね!」

という使い方は、誰にも違和感はない。

 一方、

 「私って、日曜は昼まで寝てる人じゃないですか!」というのは、その人の当たり前であり、万人にとっての当たり前ではない。読み手によっては違和感を覚える。

 このような場合は、日曜日の昼過ぎまで寝ていることについて、「一週間の疲れがたまって」などの釈明(言い訳)が有効となる。

 「ちょっと困る」という「本音」も、読む側には妙な感じで受け止められることは多い。

自分の文章と少し距離を取って、客観的に読み返してみることが大切。

 自分の生活、考え方に深く関係していること、自分がごく当たり前だと感じていること、などを書く時には、「注意深さ」と「謙虚さ」を忘れずに。

3.「デリカシーのない表現」は、使わない

 つらい思いや、嫌な思いを読者にさせる可能性のある表現は、努めて避けること。

 地雷を踏んでしまった。

今も世界各国に残留している対人地雷が子供たちを中心に多くの命を奪っている悲しい現実を考えれば、決して使ってはいけない表現

× 地雷を踏んでしまった。 → 〇 虎の尾を踏んでしまった。

タブーな表現、『斬り込み隊長』、『核弾頭』

適当な表現は、『先陣を切る』、『突破口を開く』

『女房役』という表現を安易に使っていいものかどうか、慎重に考えたい。

言葉の使い方に迷った時には、辞書を引いてみる。

代わりの表現、より適切な表現がたくさんみつかるはずだ。

4.文章もファッションと同じ。季節の先取りを

真っ青な空に、一瞬、白球が消えた。相手チームのランナーがサヨナラの本塁を駆け抜け、三年間が終わった。十五年前。また、その夏がやってきた。

「やってきた」ということで、「ストーリーがひと段落」している。

時計をちょっと進めて、「やってきた」を「やってくる」にしてみる。

またその夏がやってくる。

「クライマックスはこれから」という高揚感を、読者も共有できる。

春に夏を思い、夏に秋を思う。

なにげなく季節を先取りすることで、ひと味違う文章になる。

5.「過去」に「現在」を混ぜる

地下鉄の改札を出ると、すぐ左手の階段を上がった。男が待っていた。女の髪と同じ、深い黒のロングコート。軽くうなずくと、車道に体を寄せて、タクシーに手を上げた。乗り込む二人を目の端で追いながら、続く空車を探した。男は、私の夫だった。

筆者には『過去』であっても、読者にはすべてが『現在』である。

「私の夫だった」(過去)を、「私の夫である」(現在)に変えてみる。

「過去」に「現在」を混ぜるだけで、かなり趣を異にする。

とりわけ、文章の最後に「現在」を置くことは、読者の眼の歩みが止まることとも重なり、効果的だ。

6.「個人的事情」は、「言い訳」と誤解されがち

テーマと読者に無関係な「書く側の個人的事情」は、極力さけること。

そんな気はないのに、単なる「言い訳」ととられてしまうことも少なくない。

7.「辞書でひいてみた」は、やめよう

言葉の意味や使い方がわからない時、辞書を引くのは当然。それを文章に書く必要はない。

 辞書を引くのは、あくまで自身の考えを補うものと位置付けること。

ただし、辞書を引いた結果、自分とは別の考え・理解があった場合、正反対のことと誤解していた場合は、辞書の記述を正確に引用し、その経緯を詳しく述べると効果的。

8.「かなり」って、実際には「どの程度」?

ものごとの程度や尺度には、客観的な事実の裏付けが必要。

「かなり知られた」というような、程度を示す表現を使うときには、注意深さと謙虚さが必要。

「ひょっとして、私が思うほど、知られていないかな」という謙虚な姿勢が、結局はわかりやすい文章につながっていく。

9.「上から目線の表現」と、受け取られないために・・・

なにげなく書いた表現でも、読者からすれば「気になる」ことは多い。

自分自身の情報を伝える時には、それが読者の中に「高い位置から見下ろしている」といった誤解を招かないための、細心の注意と最大の配慮が必要。

文章を書く上で、「『自分の思いを素直に書く』ことが、文章の基本」であるが、「素直に書かれた思い」が、表現や文脈の流れなどにより、筆者の意図と異なる受け止め方をされる恐れは常にある。

書いた文章がどんな広がりを持って受け止められていくのかを、見据えること。

「気の利いた文章」のための表現チェック

なにげなく使ってはいるものの、改めて考えると(読むと)どこか気になる表現がある。

前後の流れ、作品の特質、筆者の好みなどから、ベストな選択をすれば良い。

ただ、よく目にするというだけで、漫然と使うことは避けるべきだ。

その場にふさわしい使い方かどうか、常に再確認する必要がある。

タイトルとURLをコピーしました